2025年2月号(No. 651)バックナンバー

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ASEANの地政学リスク~米中対立とその影響を巡る新たな局面~

MU RESEARCH AND CONSULTING (THAILAND) CO., LTD
Managing Director 池上 一希
Consultant 池内 勇人

従来、ASEANの地政学リスクといえば、南シナ海の情勢不安やミャンマー情勢などが挙げられることが多かったが、近年では米中対立の影響が顕在化している。特に、域内における中国の影響力の高まりを、リスクとして捉えるべきかチャンスとして受け止めるべきか、賛否両論が交錯している。本稿では、ASEANの地政学リスクを大きく押し上げる要因となった米中対立の背景と、その影響について解説する(なお、本稿は2024年11月末の情勢に基づいている。)

執筆日:2024年12月1日

1.米国側の論点

トランプ氏の再選と自国第一主義の外交政策

地政学的な観点から今後の展望を考える上で、両国の立場に立ち、それぞれ考えられる論点を挙げていきたい。まず米国の立場として挙げられるのは、政権交代である。11月4日(現地時間)に行われた大統領選挙は、過去最も拮抗した選挙との下馬評があったが、結果として、6日時点で激戦州7州すべてでトランプ氏が勝利を収め、圧勝となった。これにより、米国はトランプ氏の下で共和党政権へと移行することになり、経済・外交の両面で大きな転換点を迎えるであろう。

トランプ氏が掲げる政策は図表1のとおりである。特に、その目玉政策の一つとして対中関税の引き上げが挙げられ、バイデン前政権と同様に対中強硬姿勢を継続する意向がうかがえる。ただし、両者の違いとして、バイデン政権が経済安全保障を主眼としていたのに対し、トランプ政権は「自国産業強化・貿易赤字解消」を重視している点が挙げられる。そのため、トランプ政権下では対中関税にとどまらず、日本や欧州を含む対米貿易黒字国にも関税を賦課する意向を表明している。外交面では自国第一主義を掲げ、バイデン政権下で強化されていた世界の警察としての役割から一歩引く姿勢が見られ、トップ同士の外交を軸にした国際関係の構築を重視している。これは、前民主党政権による集団安全保障の概念から離れ、同盟国への負担増や力による平和の確保を志向する現実主義的外交が展開されるとみられる。

なお、1期目のトランプ政権でのASEAN政策を振り返ると、その要は同国の「インド太平洋戦略報告書」における中国脅威論と、その秩序への対応としてのASEANとの協力が挙げられる。この中で特に利益を享受した国として挙げられるのはベトナムであり、トランプ氏もベトナムへの訪問を実施し、エネルギー関係などの大規模投資を呼び込んだ。この傾向はバイデン政権にも引き継がれたといえる。しかし、トランプ氏のASEAN外交は、アジア太平洋を最も重視していたバイデン政権とも、オバマ政権時代の外交方針である「理解ある関与」でもなく、対中戦略の補助としての位置づけが強かったといえる。特定国を除くと、必ずしもASEAN各国にとって望ましい形でのものではなかった。これについては、トランプ氏2期目においても考慮すべきポイントであり、留意が必要であろう。

図表1

2.中国側の論点

経済の低迷とインドとの対立緩和

次に、中国についての論点として、国内経済の停滞が挙げられる。不動産バブルのあおりを受け、2022年には実質経済成長率が3.0%を割り、コロナ期を除くと1990年以来の低水準となった。足元の2024年こそ5.0%の成長が見込まれているものの、IMFによると2029年にかけて同国の実質GDP成長率は3.3%程度で停滞するとの見方が示されている。また、経済の低迷に伴う需要不足も懸念材料となっており、デフレ傾向が鮮明になっている。従来より、経済不安定が権力構造の変化や政局の不安定化を引き起こすことが多い中国では、政府がマクロ経済の軟着陸に注力している。

一方で、外交面の変化でも見逃せない事象が起きている。2024年10月21日、中国外務省とインド外務省は、係争地の国境巡回に関する取り決めに合意した。これを受けて、世論は2020年以降、長らくくすぶっていた国境紛争の解消に向けた大きな一歩と評価している。当地域において、中国はインドとの覇権争いを続けてきたが、これまで西はパキスタン、東はバングラデシュ、南はスリランカと、インドを取り囲む国々に対して多額の経済支援を行い、影響力を強めてきた。今回の合意の具体的な内容は非公表ながらも、翌22日から開催されるBRICS会談を前に、火種を消しておきたいという思惑が透けて見える。

足元、中国はグローバルサウスやBRICS、上海協力機構(SCO)といった多国間の枠組みを通じ、従来の欧米主導の覇権構図から新たな世界秩序を模索する意識が強まっていると考えられ、このインドとの和解はその象徴ともいえる。今回のインドとの外交的成果は、習近平政権が国内問題により注力するための妥協とも解釈できる。一方、インドという火種を一時的に先送りにすることで、台湾問題へより注力しやすくなるとも捉えられるため、留意が必要であろう。

3ASEANへの影響

米中両国にとってASEANの重要性は高い。中国のエネルギー輸入の7割はマラッカ海峡を経由しており、一帯一路構想はこのマラッカ海峡から物流を分散させる意図が大きい政策ともいえる。この政策は、中国の積極的なインフラ投資や海外支援を助長しており、特にラオス、カンボジア、ミャンマーにおけるインフラ整備の進展は著しい。

米国によるフィリピン、ベトナムとの関係強化

米国にとってASEANは「インド太平洋戦略」における軍事・経済面の核として重要な位置づけである。特に軍事面において、中国を封じ込める役割を期待されるフィリピンやベトナムとの関係向上を目指している。すでに同盟関係にあるフィリピンと異なり、ベトナムに対する米国のアプローチは鮮明で、2023年9月には対越関係を包括的戦略的パートナーシップに引き上げ、更には同国の半導体産業などにおける投資を確約するなど、重要地域に焦点を当てながら外交優位を維持しようとしている。

ただし、民主党バイデン政権下ではアジア太平洋を最重要エリアとして掲げながらも、ASEAN外交へのリソースは十分に割けなかったというのも事実である。これを端的に表したのが、主要閣僚級の域内各国への訪問頻度であり、2024年の同国の閣僚級訪問は、7月に行われたブリンケン国務長官のフィリピン、ベトナム、ラオス、シンガポール訪問を最後に見当たらない(図表2)。個別には成果も見られ、フィリピンとはオースティン国防長官も参加する外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)を初めて開催するなど、関係強化をアピールした。ベトナムでは故チョン氏の葬儀に参列し、ブリンケン国務長官はその足でラオスにて開催されるASEAN拡大外相会議などに参加した。

図表2

中国による幅広い外交攻勢

一方、中国によるASEAN外交は継続的に行われており、対照的といえる。2024年においても、ASEAN各国のVIPが訪中したが、特に政権交代があったタイ、マレーシア、インドネシア、ベトナムでそれが見られ、中国の存在感が再確認されたといえる。特に、10月のラオスで開催されたASEAN拡大外相会議では、米国が大統領選挙直前の政治的空白期間に入り、ASEANに対する関与が低下した。これに対し、中国の王毅外相はASEANの各国外相らとの会談に尽力し、影響力を誇示した。南シナ海問題においても融和路線を匂わせるなど、外交的な成果を得たといえよう。

また、中国の積極的産業輸出のバックボーンの一つであるASEAN中国自由貿易協定(ACFTA)の見直しについても継続的な対談が行われている。これについては、電気自動車や鉄鋼などの主要産業において、中国からの輸入関税がACFTAによって低く設定されていることについて、将来的な現地生産の遅れなどの懸念がASEANから表明されている。このような中国側の行動は、ASEANにおける反中感情を目立たせる遠因になりうるため、中国外交部はインフラ投資やODAなどを通じて、当事国へのメリットをアピールすることに腐心している。

 

4ASEANの立場と主張

中立維持と新たな戦略

これらの米中の動きに対して、ASEANは可能な限り中立を保とうと努めている。例えば、貿易面においては、包括的経済連携協定(RCEP)による中国主導の独自の経済圏の確立を目指す動きに協調しながら、同時に米国主導のインド太平洋経済枠組(IPEF)への参画も行っている(図表3)。これにより、ASEANは中立をアピールしつつ、米中対立における対価を享受することに一定の成功を収めているといえる。もちろん、ASEANも一枚岩ではなく、ミャンマー、カンボジア、ラオスについては中国への配慮が見られる点には留意が必要である。

2024年に入り、より顕在化した課題は、ASEAN枠組みの形骸化であり、全会一致が基本的な指針であるASEANにおいて、軍政下にあるミャンマーの問題や、米中対立問題などをうまく取り扱うことが難しくなりつつあることが挙げられる。このような背景からも第三極への求心が高まっており、特に中立的な立場を取るマレーシア、インドネシア、ベトナム、タイの4ヵ国によるBRICS加盟申請は、域内外交の新たな動きとして認識できる。この点については後述する。

図表3

中国投資の拡大と依存リスク

2023年には米中対立のメリットとして挙げられた「チャイナプラスワン」は、高関税の影響を受けた中国産品の代替として東南アジアの輸出が増加したり、タイやベトナムへの多数の企業移転が一巡したが、継続的な進出はまだ確認できている。投資面では、タイは2024年のBOI認可ベースでも引き続き好調で、1~9月期の中国からの直接投資額は日本を上回る42.7億USDで、全体の約27%を占めており、昨年以上の存在感を示している。一方、ベトナムでは2024年度1~9月期の中国本土からの直接投資は約32億USDで2位となるものの、前年比で約4.5%減少し、ベトナムにおける直接投資の13%にとどまった。

こうした中国による投資の濃淡の背景には、投資の継続性も影響していると考えられ、昨年は電気自動車、バッテリー、不動産分野で多数の企業がタイに進出した一方、ベトナムでは中国企業に対して一定の警戒感を示したことから進出が一歩遅れ、タイに中国企業の拠点という立ち位置を奪われたとも見られる。また、近年は中国企業の進出が活発でありⅴ、特に電気自動車における中国の躍進は日々報道を賑わせており、BYDや上海汽車、長城汽車、長安汽車などの大手自動車メーカーだけでなく、新興EVメーカーもなだれ込むように進出している。自動車以外にも、CATLのインドネシア進出や小米集団(Xiaomi)のベトナム進出が見られ、AlibabaやByteDance、TencentなどのIT系企業の東南アジアデータセンターやハブ設立のための投資も活発であるように、当地域にポジティブな影響を与えている。

しかし、留意点がないわけではない。これらの中国企業の台頭は、中国政府が進める一帯一路構想によるものが大きい。中国政府の外交戦略において、陸のインドシナ半島経済回廊と海のクアラルンプール航路が主軸となっており、中国は既にラオスやインドネシアに高速鉄道、カンボジアに港湾などの巨額のインフラ投資を行っている。これらの開発費用を中国の債務で賄っている点が大きな問題となっており、自国のインフラ開発を中国資本に依存しているASEAN諸国は、中国に強硬姿勢を打ち出しにくいという課題が今後顕在化していくと考えられる。

また、中国経済が落ち込むと輸出減少や投資控えが起きることも十分に予見される。例えば、カンボジアの新都市シアヌークビルは都市開発の9割が中国によるものであったが、不動産バブルの崩壊に伴い、ゴーストタウンとなる懸念も高まっている。

 

米国の関税措置とリスク対応

米国側の動向でいえば、トランプ氏の再就任が決定した今、貿易赤字解消を名目に、近年急拡大しているASEAN諸国の対米黒字に照準を当てた関税措置も検討される可能性がある。これには、この10年近くで進んだ中国資本による米国への迂回輸出への対応も含まれると考えられる。この背景には、第1期トランプ政権で対中貿易赤字が減少したものの、代わりに台湾、韓国、ベトナムなどのアジア諸国からの貿易赤字が増加したことがある。

こういった動きを意図したものとして、9月24日にジョージア州で行われた選挙演説でトランプ氏は「産業全体を米国に再配置させる」とし、法人税率の引き下げを挙げ、「中国からペンシルベニアへ、韓国からノースカロライナへ、ドイツからジョージアへ」と語り、徹底的な自国産業主義を掲げている。そのため、米中対立によってASEANが漁夫の利を得た第1期とは異なるシナリオが第2期トランプ政権で待っている可能性は高い。

ASEAN各国もこれらの動きに対応して、新たな方向性を近年打ち出している。特にASEANの中核国各国は近年BRICSに焦点を合わせており、2024年10月24日にはASEANからインドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムの4ヵ国がパートナー国として参加した(図表4)。パートナー国枠とは、2024年度の会合で新設された枠であり、加盟国に準ずる立場にあり、加盟国との経済協力や会議への参加権限を持つと定義されている。これは、インドを中心とするグローバルサウス市場やBRICSへの加盟が、二極体制依存のリスクヘッジとして強く意識されている動きといえよう。一方、中露両国のBRICSを対欧米への対立軸として形成したい思惑とは裏腹に、ASEAN4国を含む2024年に加盟した国々は、経済的実利を重要視している点も特徴として挙げられる。

図表4

5ASEAN各国別の動向(タイ・ベトナム・インドネシア)

最後に、各国別の論点について挙げていきたい(図表5)。まず1点目として、主要国においてリーダーが軒並み交代しており、政権基盤がやや不安定であることが挙げられる。後述するタイ、ベトナム、フィリピンの3ヵ国に加え、シンガポールやフィリピンでも近年、政権交代が起きている。タイやフィリピンのように政権内で内紛が見られるケースもあり、一部では特定の国が後ろ盾として関与しているとの観測もある。このような各国の政局がASEAN全体の外交方針に影響を及ぼすリスクも考えられる。

図表5

次に2点目として、各国ともバランス外交を国是としつつも、中国の影響力が着実に増している点である。米国がトランプ新政権となることで、多極的な中国包囲網を構築してきたバイデン政権の外交姿勢は弱まる可能性が高い。また、ASEANが貿易黒字を出している状況に対し、一定の関税措置が講じられる可能性もあり、アメリカからの圧力はさらに高まると予想される。この結果、各国で中国の影響力が一層強まることが予想される。

最後に3点目として、南シナ海ではフィリピンと中国を筆頭に領土問題が依然として火種を抱えており、有事のリスクが残っている点である。

 

株式会社スタディスト「生産性向上の専門プラットフォーム『リンオペ』」24年12月号掲載「ASEANの地政学リスク」をもとに三菱UFJリサーチ&コンサルティングにて編集。

参考文献

1.中国人民共和国中央人民政府, “国务院关于印发《中国制造2025》的通知”(2024年10月30日閲覧)

https://www.gov.cn/zhengce/content/2015-05/19/content_9784.htm

  1. 中国人民共和国外交部, “Wang Yi Holds a Meeting with Assistant to the US President for National Security Affairs Jake Sullivan”(2024年10月30日閲覧)

http://al.china-embassy.gov.cn/eng/zgyw/202306/t20230614_11096375.htm

  1. Business Insider, “Biden and Xi sought to pull away from deepening conflict. They failed.”, Tom Porter(2024年10月30日閲覧)

https://www.businessinsider.com/biden-xi-pull-away-from-brink-conflict-apec-meeting-china-2023-11

  1. タイ投資委員会, “Foreign Direct Investment Statistics and Summary”, International Affairs Division(2024年11月7日閲覧)

https://www.boi.go.th/index.php?page=statistics_oversea_report_st&language=en

  1. ベトナム計画投資省, “FDI attraction in nine months of 2024”(2024年10月30日閲覧)

https://www.mpi.gov.vn/en/Pages/2024-10-7/FDI-attraction-in-nine-months-of-2024quza0y.aspx

  1. 日本経済新聞, “カンボジア観光地に幽霊ビル500棟 中国一帯一路の傷痕”(2024年4月10日, 2024年10月30日閲覧)
  2. 経済協力開発機構, “OECD kicks off accession process with Thailand” (2024年10月30日, 2024年11月7日閲覧)
  3. 経済協力開発機構, “OECD makes historic decision to open accession discussions with Indonesia” (2024年2月20日,2024年11月7日閲覧)
  4. British Council, “BRICS welcomes Malaysia, Indonesia, Vietnam and Thailand” (2024年11月1日,2024年11月7日閲覧)

https://opportunities-insight.britishcouncil.org/short-articles/news/brics-welcomes-malaysia-indonesia-vietnam-and-thailand

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


<編集後記>


執筆者経歴

池上 一希(いけがみ かずき)

日系自動車メーカーでアジア・中国の事業企画を担当。2007年に当社入社。大企業向けの欧米、中国、アセアン市場での事業戦略構築案件を中心に活動。18年2月より現職。バンコクを拠点に東南アジアへの日系企業の進出戦略構築、実行支援、進出後企業の事業改善等のテーマに取り組む。

 

池内 勇人(いけうち ゆうと)

製造業全般の現場管理サポート、業務効率化サポートや新工場立ち上げなどを経験。2021年にMURCタイに入社、タイをはじめ周辺国へのビジネス展開支援、市場調査、企業ベンチマークなどの業務を担う。

シンガポール日本商工会議所

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